今話題の、トイレの神様。
辻詩音って子が最近流行っているらしい。
ということで聴いてみたら、なるほど可愛い歌声。
YUIが出てきた時を思い出すね。
Dirty old menが遂にメジャーデビューらしい。
んで、こちら新曲らしい。
色々書こうと思うと、頭の中がそれたので一個だけ簡単に書きたい事を書きます。
ソーシャルって言葉、広告業界とかで流行っているんですがちょっとずれる事がある気がする。ズレるというのはどちらかと言うと、概念を考えるだけ人と実際にカタチにする人での差なのかもしれない。
今、巷(業界内)で言われるソーシャルメディアに於けるソーシャルは「個が個として独立したアイデンティティを保つサービス及びプラットフォーム上での人々の集まり」である気がしている。これはとってもアメリカチック!つまり、一人一人に価値があって、その声には大なり小なり価値がある。それをマーケティングに活用するのはとってもいいよね、って盛り上がってるのが昨今の業界内。
でも、例えばソーシャルテレビ的なサービスと呼ばれる『ピーチク』。機能として、個が個として独立するための機能を備えてはいるものの、作る上でのコンセプトは「全の中の一部ということを感じる一体感が楽しい」なのだと思う。つまり、作る上で、「個であることを無くす」ことに重きを置いている。これは『ニコニコ動画』の閲覧者しかり、『2ch』の匿名性しかり。個であることよりも自分が全の一部になることに特化している。
日本人の特性、とも言われるけども、ソーシャルメディアにおける「個が個として独立する」という概念、実は日本ではあまり受け入れられないんじゃないかと思う。(まだ、という意味で)
それはさておき、ソーシャル、ソーシャル、って飽きるほどTwitterで流れてくるんだけども、そのソーシャルは「個が個として独立している」のか「全の一部となる個」なのか、そこんとこしっかりしないと常に機能実装の優先度がブレる。
あぁ、書いててわかりづらくなってきた。
こんだけ分かりづらいから、 ユーザー側に何をさせたいのかもブレる。
きっともっと、外から見てるだけなら単純で、人と人の情報が繋がっているからソーシャルってだけなんだな。作り手側はそれをユーザー目線にしたときに、ユーザーが何を価値基準とすべきなのか。そして、その価値基準で「個」という存在を消す事に意味があった場合、それがソーシャルと呼べるのか。
という、何だかよく分からない問いに発展するんだなぁ。
基本的に、ぼやきです。
なんで、作り手側の意見として、ソーシャルテレビって実はあまりソーシャルじゃないなぁなんて矛盾した考えにいきます。
これ言葉の使い方あってるのかな。
